日本を代表するゲームといえば「ドラゴンクエスト」ではないでしょうか。
その生みの親であり、日本のRPG文化を築いた人物が堀井雄二(ほりい ゆうじ)さんです。
1986年にシリーズが誕生してから、40年近く経った今でも世界中に熱狂的なファンを持ち、ゲーム界のレジェンドとして知られています。
今回は、そんな堀井雄二さんの凄すぎる年収や、彼がどのようにしてここまでの成功を収めたのか紹介していきたいと思います!
堀井雄二(ほりいゆうじ)のプロフィール!年齢や学歴も!
堀井さんは、幼少期から創作活動が大好きで、漫画や文章を書くことに没頭していたそうです。

画像引用元:https://www.sankei.com/
堀井雄二のプロフィール
名前 / 堀井雄二(ほりいゆうじ)
生年月日 /   1954年1月6日
年齢 / 2025年11月 現在71歳
出身 / 兵庫県洲本市(淡路島)
学歴 / 早稲田大学第一文学部卒業
職業 / ゲームデザイナー・作家・アーマープロジェクト代表取締役
主な代表作 / 『ドラゴンクエスト』シリーズ、『ポートピア連続殺人事件』など
堀井雄二さんの高校時代は「漫研」「水泳部」「ブラスバンド部」など複数の部活動を掛け持ちするなど、とても多才な学生でした。
大学進学後は、漫画家を志して早稲田大学に進学しますが、のちにライターとして活動をスタート。
『週刊少年ジャンプ』の人気コーナー「ファミコン神拳」などを手がけたのち、ゲーム制作の道へ進むことになります。
「もともとは漫画家志望」というのが意外ですよね!
でも、物語を作る力がゲームシナリオにも活きていると思うと納得です。
堀井雄二の年収は億越え?
堀井雄二さんの年収は推定1〜3億円ほどといわれています。

画像引用元:https://www.sankei.com/
その理由は、彼が単なるクリエイターではなく、
ドラゴンクエストシリーズの原作者であり、権利の一部を管理するアーマープロジェクトの代表取締役
だからです。
アーマープロジェクトは、堀井さんが設立した会社で、ドラゴンクエストの著作権管理や企画制作を担っています。
同シリーズは、
全世界で累計出荷・販売本数8,800万本以上(2025年時点)
という驚異的な記録を誇り、ゲームだけでなく、グッズ・映画・アプリなど幅広いビジネス展開を行っています。
そのため、ロイヤリティ収入だけでも相当な額になると考えられます。
また、堀井雄二さんは講演やイベント出演、文化庁長官表彰・旭日小綬章受章など、社会的評価も高く、
名実ともに億を稼ぐゲーム界のレジェンドといえるでしょう。
みんすゲームだけでなくキャラクターも人気だもんね!
堀井雄二さんの凄さを実感するために、他の有名クリエイターやゲームシリーズと比較してみました。
例えば、『スーパーマリオ』シリーズの生みの親・宮本茂さん(任天堂)は、推定年収が2億〜3億円前後ともいわれています。
また、『メタルギアソリッド』の小島秀夫さんも、独立後は世界的ヒットを飛ばし、数億円規模の収入があると報じられました。
しかし、堀井雄二さんの場合は、それらと肩を並べるどころか、
「シリーズ全体の総収益力」で見ても国内屈指の存在です。
実際、
- 『ドラゴンクエスト』シリーズ:累計販売8,800万本超
 - 『ファイナルファンタジー』シリーズ:約1億8,000万本
 - 『ポケットモンスター』シリーズ:約3億8,000万本
 
と、世界的に見てもトップクラスの人気。
ドラクエが一番販売本数が少ないと思うかもしれませんが、違うんです!
この、『ファイナルファンタジー』シリーズ:約1億8,000万本と『ポケットモンスター』シリーズ:約3億8,000万本は7〜8割が海外での売上。
そして、『ドラゴンクエスト』シリーズ:累計販売8,800万本超は国内での売上なんです。
つまり、ドラクエはほぼ日本だけで約9,000万本を売っている計算。
しかも、その国内市場で40年近く第一線を走り続けているのが堀井雄二さん。



ドラクエすご〜
堀井さんすご〜
しかも「日本国内でのブランド力」では、ドラクエが圧倒的に強く、ゲームファンの間では「国民的RPG」=ドラゴンクエストという認識が定着しています。
さらに、ドラクエのロイヤリティ収入はゲーム本体だけでなく、スマホアプリ、関連グッズ、映画・舞台、音楽版権など多岐にわたります。
これらを含めた年間収益規模は数十億円クラスとされ、その一部が堀井さんの元に還元されているわけです。
ドラクエ誕生と大成功のエピソード!
堀井雄二さんが初めてゲーム制作に関わったのは、1983年の『ポートピア連続殺人事件』。


画像引用元:https://www.famitsu.com/news/202311/29325581.html
その後、アメリカでRPGを体験したことをきっかけに、「日本人でも楽しめるRPGを作りたい」と考え、『ドラゴンクエスト』を生み出します。
1986年に発売された初代ドラゴンクエストは、当時の家庭用ゲームとしては画期的な物語重視のRPGとして注目を集めました。
続く『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年)は社会現象を巻き起こし、日本中のゲームファンが熱狂。
「ゲームは子どもの遊び」というイメージを覆し、ゲームクリエイターという職業の地位を確立させたのです。
「ドラクエIII」の発売日に学校を休む子どもが続出した、なんて話も伝説になっていますよね。
それだけ多くの人の心を動かす物語の力を持っていた証拠です。
堀井雄二の故郷・洲本市への寄付!
堀井雄二さんは、成功してからも故郷への恩返しを忘れていません。


画像引用元:https://shosetsu-maru.com/interviews/monogatari/3
堀井雄二さんは2008年からふるさと納税を通じて、地元・洲本市に累計1億円以上を寄付をされています。
2018年には洲本名誉市民の称号が贈られました。
さらに、2022年には「ゲーム・デベロッパーズ・チョイス・アワード」で生涯功労賞を受賞し、2024年には文化庁長官表彰、そして2025年には旭日小綬章を受章するなど、数々の名誉を手にしています。
現在も新作『ドラゴンクエストXII』の制作に関わるなど、第一線で活躍中。
70歳を超えてもなお、ゲームへの情熱は衰えていません。
地元への寄付や若手育成など、堀井さんの行動には人としての温かさを感じます。
まさに、尊敬されるクリエイターの代表ですね。



人としても尊敬します!
まとめ
さて今回は、堀井雄二さんの年収や経歴の凄さについて紹介しました。
堀井雄二さんは、日本のRPG文化の礎を築いた偉人です。
・早稲田大学出身のフリーライターからゲームクリエイターへ
・ドラゴンクエストで国民的ヒットを記録
・アーマープロジェクト代表として年収は億超え
・故郷への寄付や社会貢献活動にも尽力
彼の人生は、創作への情熱と挑戦の連続。
これからもドラクエの父として、私たちに新しい冒険を届けてくれることでしょう。
堀井さんの生き方は、まさに「夢を形にした人生」。
ドラゴンクエストのテーマ「そして伝説へ…」という言葉が、彼自身にぴったり当てはまる気がします。
最後までご覧いただきありがとうございました










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